ブログ
ブログは好きじゃないと続かない。好きでもだんだんめんどくさくなってくる。
自分の世界を持ちたい、お金を稼ぎたい…と始める理由は人それぞれとはいえ
どっちにしても、めんどくさい時は来るものである。
そんな時は無理に書く必要はないのだろう。
無理に書いたブログなんかろくなものにならないからである。
めんどくさいけど何とか続けたいという厄介な場合には、書くことを作るのがいい。
書くことがないと書けないからである。
どこかへ行くか、家で何かをしてそれを題材に書くわけである。
自分の憧れるブログや同じような人が書いているブログを真似するという手もある。
ただネットには自分より「持っている」人たちがたくさんいるので
自分には無理だと気分が沈んでは意味がないので、あくまで参考程度にする。
どこを目指したいかによる。どんな人を呼びたいかにもよる。
近所に住む人を呼びたいなら近所のことを書く、趣味が同じ人を呼びたいなら趣味をという感じである。
目的が何かというのは大事だと思う。そのうち自分が何をやってるのかわからなくなってくるからである。
明けましておめでとうございます
2023年、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年ウサギ年ということで、ストレスに注意してゆったり過ごしたいと思います。
うさぎはストレスを感じやすい動物だそうです。
確かにそんな感じはします。
今年が平穏な年になることを祈りたいと思います。
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好きなもの
自分の好きなものがよくわからなくなってきた。今まで自分が好きだと思っていたことが、何かこうあるべきとか若い頃からの惰性でとか、不純な感情に縛られたものだった気もする。
働いている人が生活に追われて好きなものが見えなくなるというのでもなく、時間がたくさんある無職の身でわからないのは滑稽ではある。
好きなことというのは、何か人生を変える力になるものであるので大事だと思われる。
ただどんな分野であれ、自分事にするかどうか、ということが肝心なのではないかという気も最近はしてきている。
少し好きで何かやりたい気にはなるが、いざやろうと思ってもどんな分野にも難しいことがあり上がいる。
好きでやっている趣味なのに人の目などが気になったりしてあまり楽しくない。自分はこれを本当に好きではないのではないか、などと考え始める。
世の中は色々回っているけれどあまり気にせず、少し何かを好きな気がしたら、自分のペースで、自分が楽しいと思える範囲で楽しむ方法を探すのが必要ではないかと思った。
雑音があふれる時代、たとえ有名な人の言葉でも自分に合わない情報も多い。今の自分の境遇に合った方法で、余計なことを気にせず好きなことを楽しむことにする。自分の中の声を聞くということでもある。
youtubeとか見るとすごい人はいっぱいいるが別にいいじゃないかと。お金がもらえなくてもやりたい好きなことがあれば幸せだと思う。
無職の年末年始
無職の年末年始は、人により事情は違うとは思うが
歳を取るにつれてきついものである。
まず大掃除がめんどいが、全く動かないと親に色々やれと言われることになる。
大晦日が来ると、家族の刺すような視線の中、年越しそばをすすり、紅白やカウントダウンなど楽しくも何もない。
何が明けましておめでとうだ。すっこんでろと思う。
そして元旦。誰からも年賀状が来ないのは当然なのでいいが、朝からまた家族の冷たい視線の中で雑煮とおせちを流し込む。
自分は正月といえども食事などいつも通りでいいと思うが
そんなことを言おうものなら針のむしろになるので黙っている。
お前の今年の抱負はなんだ、とか余計な話が飛び出すのも嫌なものである。
初詣やら初売りやら世の中はめでたい雰囲気に溢れる。しかし金もないので自分には全く関係ない代物である。
これプラス、新年の顔合わせと称して親戚の家に行かないといけなくなると、さらに地獄である。詳細を書くまでもない。
そして三が日が過ぎ去り世の中は仕事始めや新学期となるが、
その後も成人式やら試験やら過去のトラウマを蒸し返すようなイベントが目白押しで
この季節は終わってるとしか言いようがない。
食事などピザでも食ってさっと終わらせたいが現実にはそうもいかない。
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昨日の夢
昨日は鮮やかな夢を見た。
以前通った大学、といっても全く趣の異なる場所だったが、自分は最後の授業を抜け出したようだった。
石畳と石造りの建物が並ぶ迷路のような構内、花が何種類も展示してある謎の家。中に座っているおじさんに話しかけたが何も反応はなかった。
カフェのような売店にはパンやらが大量に並んでいる。
人はほとんどいない。
しだいに外へ出て住宅街に入る。
今風の新しい家が並ぶニュータウンのようでもあったが現実とは違うのは、歩道が全部親水広場のように、清涼な水がふんだんに流れてその中を歩く。子ども等が遊んでいる。
現実にも小川や水路のある街はあるがそんな程度ではなく、清流のような水量のものが家々の間をミャクミャクと流れている。
現実にはありえないがそれはまさに木と水と光が調和した理想の街であった。
そこで2011年にヨドバシで買った目覚ましの乾いた電子音で目が覚めた。
夢は白黒といわれることもあるが自分はたいていカラーである。そしておかしな世界が出てくる。今まで見たものが混合されているのだろうと思いつつ
自分は寒いだけの朝に戻った。
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これからは本を読むしかない
先の見えない時代だ。いろんな値段も上がって、災害や戦争の危機もある。
ITは進歩してもそこまで人の生活が良くなっているとは思えない。
まあない時代よりは色々な情報があって良いのだろうけど
一寸先は闇の時代で、自分がどう生きるかが大事になっている。
とはいえどうしたらいいのかは誰も教えてくれない。
とりあえず…本でも読むしかないのかなと思う。
ニュースは間断なく入ってくるが、鬱になるものが多いので
あえて見ないで本を読んだ方がいいかもしれない。
ネットにもいい情報はあるだろうけど、なにぶん誘惑が多すぎるので
たまに離れるというのも大事かもしれない。
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気になる本を早めに見ておくとお得かもしれない。
そろそろ年末なので、
おせち料理をまだ頼んでいない人は急いだほうがいい。
12月に入って少し。
朝起きて飯を食ってネットを見て飯を食って夕方に散歩にいく。夜はまたネット。
そういう生活を続けて2年あまりたった。それ以前も作業所に行ってただけなのでここ5年ほどはあまり変わらないが。
ニートもこの歳まで続けるとは若いころは思わなかったなと思いつつ。
ネット上で世の中のことを知るにつれ、自分にこの世界の仕事はことごとく向いていないという思いを強くする。長く続いたものはないが20代で色々したアルバイトの記憶でもろくなことがない。
世の中の人は生活のためにきつい仕事をして社会を支えている。
自分には遠い世界だった。最近になってなんとなくわかるようになってきたが
わかった気になるのも危ないので、あまり判断はつけないでおこう。
今年もあと少しだ。自分としては、大晦日と元日の間に何の差があるのかと思うが、
それが世の中の普通であるのでそういうものということにする。
正月というものが昔から、家族から抱負を言わされたり、遠くの神社に連れていかれたり、
大して仲も良くない親戚と会わないといけなかったりするので、好きではないのだろうとは思う。
秋の夜の独り言
最近、スマホをかざせばとか、プロジェクションマッピングだとかドローンだとか、IT的なことに少し食傷気味になっている。
色々とITで面白い、便利になるのは悪いことではない。
ただみんなが高性能な機械を持つようになって、世の中は良くなっているかというとちょっと微妙だと言わざるをえない。
じゃあなんだ懐古趣味か、昭和や原始に戻れというのかというと、そんなことは言わない。
ただ、自分が食傷気味だ。
歴史的な建造物に何かを映したり、スマホの画面に何か浮かび上がるとか、何か本来のそのもの自体をじっくり見る滋味を失っているような気がする。
こまけえこたあいいんだよとかお前ん中ではなとかいう感じではあるけれども。
現実世界はネット画面と違って地味で汚い。スーパーのチラシは季節感があって華やかだけれども、実際店に行くと品物があまり美味しそうじゃなかったり、支払いでトラブルが起こったりとげんなりすることが多い。
でもそれが普通といえば普通だ。スーパーは店に来てもらうために華やかなチラシを作る。
ネットと現実もそのような感じだ。現実の世界が第一にあり、やはりネットは第二で切り取った一部や作り物にすぎない。
自分もここでは好き勝手書いても、やはり現実では「現実世界のお前ら」である。
もうiPhoneなんてなかった過去には戻れない。
ただ、IT機器からは定期的に距離をおいて、今の時代に浸かりすぎないようにする必要があると思う。
しかし、現実が辛すぎる時は、ネットは逃げ込めてまた現実に向かう力をくれる場であることも確かで、難しい。